2012年7月アーカイブ

2012年7月8日説教「百匹の羊」神戸基督改革宗長老会 徐亦猛牧師
聖書:ルカ福音書15章3-7
「3 そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、
4 「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。
5 そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、
6 家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。
7 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。」

説教要約(文責近藤)

【神様は一人一人を特別に創られた】
ある日、おじいさんと孫が公園できれいなアジサイを見た。これは神様の創造したものですと言いました。すると孫は「私たちみんなは神様の創造されたものですか」孫は「ではなぜ僕とじいちゃんの顔が違うのですか?」「わたしの顔のしわは歳のせいです」。「じゃあ、わたしは進化したのですか?」「そうじゃないです。神様は一人ひとり特別につくられたのです」

【取税人や罪人たち】
今日の話の前段としてルカ福音書15章1~2節を見てください。
1 節「さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。」
取税人や罪人たちは神と何の関係もなく神の国、神の救いとは何の関係もなく生きてきたと思っていた。

しかし不思議に彼らはイエスに引き寄せられてきた。「 さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。」
そこでイエスは彼らを喜んで迎え入れた。喜んで神の国を語り喜んで彼らと食事をしたのです。彼らとともに笑い、神を賛美したのです。その時代彼らは神様の前に簡単にでれない者でしたから彼ら取税人や罪人たちは何と幸いだったでしょう。それに比べ今の私たちは素晴らしい恵みのなかにいます。

【パリサイ派の人たちや律法学者】
しかしこの光景を喜ばない人たちがいました。パリサイ派の人たちや律法学者でした。
2節「 するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、『この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている』と言った。」

彼らは自分たちは神の掟を厳格に守り神の国は自分たちのものだと考えていました。
だからイエスを見てつぶやきます。「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」

今日の3~7節ではイエスさまがパリサイ派の人たちや律法学者のこういう態度を正そうとされたのです。

今日この箇所より3つの点を学びましょう。

【1】羊飼いなる神様を離れた人間の姿というものを見失われた羊として描かれていることです。4節 「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。」
羊はイスラエル人にとって身近な動物でした。しかし羊は弱いもので群れをつくっています。自分の身を守る武器は持っていません。又羊は近眼であると言われます。目の前の草しか見えないようです。移動するときにも前の羊の後を見るだけです。

何となく人間と似ているように思います。羊飼いが羊を見失うのは羊飼いがぼーとしていたわけでなく羊が羊飼いの声に聴いて行かなかったからです。
ヨハネによる福音書10章に「3 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。4 自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。」
実際パレスチナでは羊飼いは大声を出して羊を導きます。時として羊飼いの声に聴かないで迷い子になる羊がいます。これが見失われた羊です。

羊飼いの声を聴かないで迷い子になった羊は、当然死ぬではないでしょうか。荒野は食べ物がありません。傷だらけになるか獣の餌食になるからです。見失った一匹の羊に悲しい人間の姿をイエスは見ていたのです。人間は多くの人の社会にいるようでも結局一人で彷徨っています。どこに向かって助けを求めてよいのか分からなくているのです。それはまさにサタンの餌食となりつつある人間の姿です。

【日本留学と阪神大震災】
私自身もそのような経験をしました。16年前に日本にきて神戸YMCAの日本語学校で学びましたとき中国はまだ高度成長になっていないときでした。貧しい国から豊かな日本にきたので、アルバイトを一生懸命してお金を貯めました。勉強しながらお金以外興味がなくなり余裕がなくなりしんどくなっていました。その時阪神大震災が起こり何もかも亡くしました。神様から離れて自分の力で生きようとしたの自分の姿を見たのでした。その時日本語学校でもらった1冊の聖書、ギデオン聖書だけを持ち出すことができ神様に帰ることができました。精神的余裕を与えられて生きることができるようになりました。これは神様のお導きでした。

神学校に行くようになった時も日曜日と土曜日のみはアルバイトをしませんでした。教会と神様に連なって精神的余裕が与えられた、それだけでなく経済面でも神様は多くの祝福を与えてくださいました。

【2】第二は人間を追い求める神様のすがたが書かれています。イエスは言われる「九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。」

【何でバカな話だ】
この箇所は教会生活の長い人はピントこないかもしれませんが、実際、何年か前ある家庭集会に来ていた人がこれを聞いて「何でバカな話だ」と言いました。そうです、これは本当だと思います。イエスの話には極端な話があり、これもそうですね。99匹をほっておいて一匹の羊を探し出すまでということは普通ありません。ある程度探せばあきらめて99匹のところに戻りますね。人の考えはそうですがイエスが思い描く神の姿はそうではありません。かってに羊飼いの声を聴かずに彷徨った羊を探して探して求めるのです。

【父なる神様の愛】
現代の人はそんな話は考えられないという。しかし、これが父なる神様なのです。間違ってはなりません。迷える羊が神様を求めたと言うのでなく神様が迷える人を求めて探し出すのです。人間は神様から頂けるものは求めますが神様自身を求めはしない。しかしそのような私たちを神様が求めてくださったのです。

私たちが神に立ち返るのは神が私たちを必要だからではありません。人はこういう見方しかできません、私には神が必要だろうかと。そうではありません。私たちが神に立ち返るのはこんな私たちを諦めないで追い求めて下さるからです。そのような神の究極の愛は何処にあるのでしょうか。この話を語られる主イエス御自身にあるのです。

荒れ野にまで出て自ら傷だらけになって探し回っておられる羊飼いの姿こそ主イエスさまです。これが天の父なる神の姿であり、神の愛の現れであるイエス御自身の姿なのです。神様が私たちを万民の中から探し出して神の子供として神の聖なる宮である教会に入れて下さったのです。

【神様の主権的選び】
神様は全ての主権をもって私たちを選び出した。どんなつらい人生があったとしても神は素晴らしい計画をもって選んでくださったのは間違いありません。神の子として栄光ある生き方を送る計画を神は持っておられます。どんなつらいことがあっても新しい人生を歩めるのです。

【3】最後に書かれているのは神の喜びです。イエスの極端な話はさらに続きます。
「15章5 そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、:6 「家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。」

【神様の歓び】
友人や近所のひとを呼び集めて大騒ぎするのはどう考えてもおかしいです。イエスはどう考えてもおかしい姿を書きます。このような喜びは神様の歓びです。救われた羊が喜んだとはどこにも書かれていません。この話はパリサイ人や律法学者が神の国の福音に不平を言っていることから始まります。彼らは律法を大切にして神に従順に生きたいと思っていた人です。模範的な人々でユダヤ人から尊敬されていました。

彼らに明らかに欠けているには彼らのうちに歓びがなかった。なぜか、彼らは神の歓びを知らなかったからです。私たちもしばしば信仰生活の歓びを失っていることでしょう。それは神の歓びを理解しないからです。『一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うなら神様は大喜びされるでしょう。あなたは神に立ち返ったとき神がここまで大喜びされたことを知っていますか。あなたの隣人が神に立ち帰ったら神様はこれほどまで喜んでくださることを知っていますか。イエスキリストを地上に送られたのは神様自身がわたしたちを求められたからです。

天において神が天使たちと大喜びしているその喜びにともに預かりたい。
取税人や罪人たちは神の歓びに触れたのです。パリサイ人や律法学者にいつもともに喜んでほしいという意味でこの話をなさったのです。実際、私たち一人だけがクリスチャンになって喜ぶのでなく、まわりの人が救われた姿を見てともに喜ぶと言うことが必要です。
【中国の教会】
御存じのように中国当局の報告では中国には1千5百万人のクリスチャンがいます。しかし地下教会の数は5千万人と言われます。これは中国クリスチャンだけの祈りによるのでなく世界中のクリスチャンの祈りによってなったと思います。

【神戸中国人伝道センター】
神戸でも中国人伝道センターがあって日本に来る留学生、船員たちに伝道活動をしています。改革派はじめ日本人のクリスチャンの助けも必要です。わたしたちも神戸にいる中国人が救われる姿をみて喜びます。そうなれば神様も喜ばれ更なる力を神様は与えて下さると信じます。日曜日に教会、伝道所に集い、ともに礼拝し交わることはわたしたちの喜びであり神様の歓びです。今日初めて来られた方にも明日からの1週間神様とともに歓びつつ歩まれるよう祈ります。

プロフィル
徐亦猛
1974年中国上海生まれ、関西学院大学大学院神学研究科神学専攻:博士後期課程修了(神学博士)
2003年神戸基督教改革宗長老会伝道師
2006年神戸基督教改革宗長老会牧師、関西学院大学神学部講師、明治学院大学キリスト教研究所研究員

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